映画と毎日ブログ

映画と食が大好きな大学生のブログです

映画【プロメテウス】 感想

 


作品名:プロメテウス

公開:2012年

監督:リドリー・スコット

 

 

「エイリアン」(1979)の前日譚とされる作品です。

私は、エイリアンはかなり昔に見たので内容はあまり覚えていません…

 

そのためかわかりませんが、今作はあまり乗れませんでした😿

不快に感じたのは、私がこの手の作品の肝をわかっていないからだと思います。

ほぼ批判になりますが、ご容赦ください。

 

 

 

調査チームは人類の起源の答えとなる未知の惑星を発見し、上陸します。

上陸のさい、地球の大気の組成とほぼ一緒だと判明したらすぐさま調査隊はマスクを外して行動します。

 

ちゃんとした生物学者、化学者ならこの判断は非常に軽率ですよね。

実際の学者の方たちは人一倍未知なるものを恐れるはずです。常人以上に知識があるがゆえ最悪の想定を考えざるを得ないからです。

 

マスク中でタバコを吸う隊員がいたり、主人公のカップルはすぐ性交してその後悲惨なことになったりします。

 

 

 

軽率なことをしたから、墓穴を掘ってしまうという構図がお約束なのはわかります。

ただ、それは一般人が主人公のとき成立しますが、地球選抜になれるレベルの研究者がそうなるのはもう通用しないと思います。

映画内の宇宙船などのテクノロジーの発達具合と、登場人物たちの知能指数が異常に解離していて話に現実味がないです。

 

そのため、謎の生命体に襲われて壊滅しそうになっても自業自得感が否めませんでした。(実際、隊員の行動が引き金になったわけではありませんが)

 

完璧に対策していたのに、相手から想定外の攻撃を食らう方が不条理感が際立ちますよね。

同じ監督の「悪の法則」は、確かに主人公はなんの対策もせず麻薬ビジネスに飛び込み痛い目に遭います。ただ、ブラッド・ピット演じるブローカーはその危険性をしっかり認識し、対策していたのにもかかわらず殺されました。

 

プロがプロらしい見識で想定しても、それを越えてくることだってありますし、現代で起きる災害や事故などはそういった場合が多いと思います。(先進国に限りますが)

普通に隊員がまともに業務をこなしている方が設定的にも時代的にも合っている気がします。

 

そして、エンジニアよりも「悪の法則」のキャメロン・ディアス演じる女性の方が怖いです。彼女は不条理の象徴みたいなキャラですよね。

創造主なのですから、この人と同じ血を継いでいる恐ろしさ、逆らえなさみたいなのものをもっと実感させてほしかったです。(あえてそういう恐怖表現がないのは、神格化を削って卑近さを際立てていているからかもしれません)

 

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当然、監督は全てわかっていて意図的にこうしているのですよね…。

やはりこの作品にリアリティを求めることは間違ってるんですかね???

ナンセンスだと笑われているんでしょうか…つらいな…😢

 

 

ただ、今作では本当に美しいシャーリーズ・セロンが見れます!それだけでも価値があります笑

そして、マイケル・ファスベンダーも本当に美しいです。こんなアンドロイドいたら萌えますよ😻

次の作品は彼中心に進んでいくらしいので見てみようと思いました。

 

 

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賛同や批判でもご意見がある方はぜひコメントお願いします!

読んでいただきありがとうございました!!😊

映画【アメリカン・サイコ】 感想と考察

作品名:「アメリカン・サイコ

公開:2000年

監督:メアリー・ハロン

 

 

自分の解釈にあまり自信がないのですが、読んでいただけたら嬉しいです

 

主人公はパトリック・べイトマンという27歳の男性です。彼は裕福な家に生まれ、ハーバード大学を卒業し、現在は父の所有する投資会社で副社長を務めています。

さらに、ルックスがよく趣味も良いので彼の周りには常に人がいます。

パトリックは誰もがうらやむようなエリートでした。

そんな彼ですが、心には殺人衝動を抱えていて、おそらくそれまでの人生でも抑えきれなかった瞬間が何度もあるみたいです。

 

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しかし、彼は殺人描写が無くても人を人とも思っていないような言動をとるので、すぐ人でなしだとわかります。そして人でなしはパトリックだけではなく彼の同僚、婚約者、愛人も同類だと思われます。

 

彼らは、周囲の人間に対する本質的な関心を持っているように見えません。口を開けばスーツのブランドやレストランの評判、名刺対決など、薄っぺらい会話ばかり。

 

ちなみに、私はこの映画を見て内輪向きな感じの会話を見せ続けられるのが苦手だと気付きました。

(けれど、芸人さんのトークやモノマネなど自分が知らなくても楽しく見れる内輪向きネタもあって、それらは大好きです)

ある意味、この内輪向き感を不快に描いているのも作者の戦略かもしれないですね。

 

 

ある日パトリックは、自分に引けを取らないルックス、学歴、センスを持つ同僚のポールを酔わせて自宅で殺害します。

 

殺人衝動がピークに達していたのもありますが、私は、パトリックはポールの存在が自分と重なることに内心危機感を持っていたのだと思います。

これは、あのコミュニティを構成している人間はみんな代替可能だということを表していると思います。パトリックはポールと比べられたとき、同僚たちは自分ではなくポールを選ぶのではないか、と焦りのようなものを感じたからポールを排除したのではないでしょうか。

 

パトリックは彼自身が意識していないかもしれませんが、日頃から孤立に対する恐怖を抱いているように見えます。

そして同時に孤立した人々への軽蔑も持っています。

パトリックに話しかけられた娼婦やホームレスは、初めは彼が自分を恵んでくれるのではないかと期待し羨望のまなざしで彼を見つめます。

パトリックにとってその露骨な視線が、憎たらしくてしょうがないのでしょう。彼は出会った娼婦やホームレスを高確率で殺害します。(単に犯行がばれにくいからかもしれませんが…)

 

 

 

中盤でパトリックは秘書のジーンを家に招き、彼女を殺害しようとしますが、その瞬間婚約者からの電話がかかってきたことで断念します。

ジーンはパトリックがまだ婚約者と関係が続いていたことを知って悪く思ったのか、彼に自分は帰るべきか聞きます。

パトリックは「君を傷つけるかもしれない」と言ってジーンを帰しました。

その時のパトリックの表情からは、殺せなかったつまらなさ以上の何か虚しさや悲哀が感じられます。

 

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あの場面だけは、パトリックは己の殺人衝動と戦い苦悶しているように見えます。

この葛藤が垣間見えたのは、ジーンはパトリックに対して唯一、本質的な関心を持ってくれていた人物だったからだと思います。彼女はパトリックの人格を最大限に尊重し、彼の婚約者に対しても配慮していました。

 

 

 

その後、パトリックはポール失踪の件で現れた探偵の捜査も華麗にかわし、さらに殺人を重ねていきます。らせん階段からチェーンソーを落として娼婦を惨殺し、その光景を思い出しては手帳にスケッチ。

そして衝動に駆られたある日、ついに市中で無差別殺人をしてしまいます。

この場面での警察との銃撃戦描写は明らかに非現実的で、妄想説が出るのもわかりますよね。

 

 

ラストでパトリックはついに同僚に自身のした殺人を打ち明けますが、誰からも信じてもらえず、事件は存在しなかったかのように扱われます。

 

この結末は、人間の他者への無関心さを表しているというのもあります。

しかし、それ以上に人間の利己的な部分を映し出している気がします。それは以下のシーンから考察できます。

 

パトリックは死体を隠していたポールの部屋を訪れますが、その部屋はリフォームされ何事もなかったかのように新たな入居者を探していることがわかります。

それ以前、パトリックは初めてこの部屋に入ったときにポールが自分よりも良い部屋に住んでいると思ってびっくりしています。

つまり、それだけ高級な物件であるがゆえ家主は事故物件ということを隠し、価値を損なわないでまた売り出そうとしたのではないでしょうか。

 

こういった利益重視の目線でラストを見ると、このような考察ができると思います。

 

周囲にとってまだまだ利用価値があったパトリックに、その価値が損なわれぬよう世界全体が彼の罰を回避させたのはないでしょうか。

しかし、周囲の同僚などでパトリックに媚びたり、たかるような人はいませんでした。

おそらく、この場合の利用価値というのは自分の所属している集団を少しでも大きくて豪華な物のように見せてくれる存在、というだけのものだと思います。

彼らにとってその価値が損なわれることは殺人という事実よりも重大なのです。

そしてパトリック自身も、その集団が強そうに見せるためだけに必要な、その程度の存在だったのです。

 

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誰だって、他者の人生からしたら所詮モブキャラでしかありません。

パトリックは自分が世界の中心であり、周囲は自分に関心があると思い込んでいたように見えます。だからこそ、実態を見せたら周囲が失望してしまうと信じて、その殺人衝動を隠していました。

 

そして最後に、パトリックは自分が真の孤独であることを悟ります。

 

 

ただ、その前に秘書のジーンが彼のデスクから見つけた手帳の中身を深刻そうに見つめている場面が挟まれます。

パトリックのこれまでの人生において、ジーンの存在はただのモブキャラにすぎなかったと思います。(行為中に鏡に映る自分の姿に惚れ惚れしている様子を見ると、彼にとって自分以外の人間は全員モブキャラだと思っていそうです笑)

逆にジーンは彼に興味を持っていたので、そこから親密な関係に昇格しようと努力していましたね。

そして、彼女だけはパトリックに本質的に興味を持ち、向き合っていました。

おそらく、パトリックを真の孤独から救い出してくれるのはジーンだけではないでしょうか。

あの場面で、映画にとってもパトリックにとってもモブキャラであるジーンを殺さず生かしたのは、その役目が残っていたからだと思います。

 

(しかし、ジーンが事実と向き合った時、パトリックに強いられるのは償いです。現実的には彼は極刑を免れないでしょう。)

 

 

 

 

殺人がすべて妄想だとしたら少しつまらなく感じるし、重みが無いですよね。もちろん実際に殺人をしていたとなると辻褄が合わないところが多くて困りますが…

 

しかし、これだけ話題を生んで、見た後は考えさせられる映画ほかにはないですよね。

私はいまいち理解しきれていませんが、大好きな映画のひとつです。ぜひこの結末については議論したいですし、よければコメントください!

 

拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございました!😊

 

映画【悪の法則】 感想

作品名:「悪の法則」

公開:2013年

監督:リドリー・スコット

 

 

非常に豪華なキャストで映像も美しいですが、映画内でのあまりの説明の少なさにビビります。(この役者陣につられた私は面食らいました笑)

 

 

冒頭、弁護士とその恋人ローラがいちゃつく場面から始まり、その後彼がローラに結婚指輪を贈ろうとしていることが示されます。弁護士さんは少し欲をかいて、やや身分不相応なダイヤモンドを購入します。そのかわりに、麻薬取引に出資して儲けようとしました。

 

おそらく、ここが終盤で言われた「選択はずっと前に行われた」その地点かもしれません。

しかし、これはあくまで我々観客の視点からはそう見えるだけで、彼はそれまでの人生で徐々にあの道に近づく選択をずっと重ねてきたのだと思います。

そう考えると、どこから悔やめばいいのかわかりませんね。

 

 

裏社会に片足を突っ込んだ後でも、ブローカーのウェストリーは弁護士さんに何度も警告しました。しかし、完全に油断している弁護士。

悪友である実業家ライナーとの会話も「わからない」「知らない」のオンパレードで、彼らがいかに麻薬取引の実態を知らずにビジネスを始めたかがわかります。

 

かたや、ローラはライナーの愛人マルキナと優雅にプールサイドでお喋り中。マルキナはローラの身に着けているダイヤモンドの指輪に興味津々ですが、それは一般的な女性の興味の持ち方と全く違いましたね。

彼女はローラがそのダイヤモンドの”価値”に直結する情報を何一つ知らない、とわかるとびっくりしていました。

 

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この映画では「知らない」というセリフが多々登場しますが、その言葉を発するほどその人物の死亡フラグが立っている気がします。

(しかし、”知っていそう”なウェストリーさえも殺されたのは、この世界はフラグ通りに進むような単純な世界ではないと警告されているようで恐ろしいですね)

 

 

そして、序盤で弁護士とローラはパーティー中?に弁護士の昔の顧客と思われる男性に絡まれます。彼が言うには、弁護士さんは「平気で人を踏みつけにするヤツ」だそうです。

事の顛末から考えると、この発言はあながち間違っていないものになります。

ローラは弁護士さんが始めた麻薬ビジネスの人質にされ、その結果残虐に殺されました。しかし、当の弁護士は生き残りました。

彼は、以前からそのような無意識的に人を犠牲にする行動や選択をする習性があったのかもしれません。

個人的な願望ですが、私は弁護士さんが今回の過ちでも懲りず、行く先々で周囲の人を無意識に人質にし犠牲にしていく逃避行のストーリーを見てみたいと思いました

 

 

ラストでマルキナが言った「臆病者ほど残酷よ」という言葉は、この弁護士さんのことを指している気がします。

おそらく、自分のした行動や選択による対価を意識してない連中は、ある意味彼女にとっては恐るべき存在なのかもしれません。

 

 

 

 

そして、ウェストリーを殺害し彼の資産を奪った後、マルキナがハニトラのため雇った女性に報酬を渡そうとするが断られるシーンがあります。

 

その際、マルキナ「あてになるからアメリカ女は大好き」と言い放ちます。

この言葉の真意はわかりません。

ただ、人間は倫理感や罪悪感、羞恥心を持っているため欲望のまま生きることは憚られます。

そのような理性の結果生まれた過ちや疑いを素早く嗅ぎ付ることで、マルキナは他人の富を吸い尽くし自分のものとします。

 

アメリカ人の女性が際立ってそうなのかわかりませんが、宗教観だったり、エリートやセレブとして振る舞うことに対する意識がほかの民族よりも強いのですかね?

(それとも、単にマルキナの仕事仲間のアメリカ女は裏切るような人が少なかったから?)

人間的な感覚が強ければ強い人ほどマルキナにとっては良いカモなのかもしれません。

 

 

 

弁護士さんは恋人を救おうと奔走しますが、時すでに遅し。メキシコ人の男性からもう戻れない場所にいると宣告されます。そして今にも泣きそうな弁護士さんに対し

悲しみでは何も買えない、それは悲しみに価値がつけられないからだ

と言います。

 

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私は、たまに殺人よりも過失致死の方が恐ろしいと感じることがあるのです。

殺す側だとしたら、自分の無意識の判断が巡り巡って誰かの命を奪うことにつながる可能性があると考えるだけで怖いです。

そこには悪気や企みなど無く、存在するのは単純な物理的な”法則”のみでそれにのっとった結果が訪れるだけです。

逆の立場でも、人からの憎悪や八つ当たりよりも1度作動したら止めることができない暴力装置に巻き込まれる方が怖いですよ。いくら命乞いしても無駄ですしね。

 

ルキナもその”法則”を利用しているだけで、より切れ者の”利用者”が現れたら彼女も先手をとられ殺されるなんてこともありえますよね。

(そんな展開もぜひ見てみたかった!)

 

そういった”法則”が厳然と世界に流れ続けていることを思い出させる、現代人に対する警告そのものみたいな映画でした。

 

好き嫌いは分かれるみたいですが、この映画は見た後「あれは何だったのか?」と考えさせられる場面が多々あります。

それを持ち帰って自分なりに意図や意味を考えるのが映画の醍醐味ですよね。

(結論:この映画はそういう意味では最高です!!!)

 

 

 

 

正直、この映画の核心になっていそうな最後のマルキナの長セリフや、教会での神父とのやりとりの真意はよくわかりませんでした。

もし、わかる方がいらっしゃったらぜひ教えていただきたいです😢

 まだまだ意図がわからなかった箇所がたくさんあるので、再度見返していろいろ考察ができたらいいなと思います

映画【ダンサー・イン・ザ・ダーク】 感想

 

作品名:「ダンサー・イン・ザ・ダーク

公開:2000年

監督:ラース・フォン・トリアー

 

 

言わずと知れたNo.1胸糞映画ですよね!

 

 

公開当時は、あのラストに劇場で涙を流す方が大勢いたと聞きました。(本当かな?)

しかし、多くの人が同情し泣いたのだとしたらそれは主人公セルマの目線ではなく、セルマを見てきたキャシーやジェフなどの目線になっているのだと思います。

 

セルマに感情移入しながら見ると、この映画はハッピーエンドになると考えられるからです。

 

冒頭、学校をサボった息子に一発平手打ちをかましお説教。息子ジーンに自転車を買い与えようとする流れに動揺し、「息子を甘やかさないで」と言っています。

彼女は彼女なりの美学みたいなものを持っており、もちろん断固とした子育ての方針があるようです。

盲目だからといって人に臆することなく、ガンガン自分の意見を伝え、強いプライドを持っています。

 

そうかと思えば、自分がミュージカルの空想にひたっていたせいで工場の機械を壊してしまいます。

 

そんな彼女を見守る目線に立つと、心配で居ても立っても居られなくなるのです。

 

工場の機械に挟まれて大けがしそうだな…この人集中してないし…

こんなとこ歩いてたら列車に轢かれて死んじゃうよ泣…

目が見えないのをいいことに隣人のビルに乱暴されるのではないか…

 

危険がいっぱいで、そして何よりもセルマ自身に危機感が無さそうなのが問題です。

 

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その部分が、この作品を見た人の感想に多々あるセルマに対する怒りを生んでいるのです。

セルマの行動や選択には共感できない部分がたくさんあります。(そこには、彼女が盲目であるがゆえの影響は少なからずあるのかもしれない)

とくに、裁判でビルとの約束を守り真実を語らなかったシーンなんて、常人には理解できない狂いっぷりで叱りたくなりますよね笑

 

私はセルマを叱る方々はとても優しい心を持っているんだと思います。

 

セルマと、そして彼女の息子ジーンが普通の幸せな生活に戻れるようにセルマの愚かな言動を正したいと考えているからです。他人の状況を自分のことのように考える親身さを持ってないと正そうとはしませんよね。

 

 

優秀な私選弁護人を追い返してしまった後、キャシーは泣きながらセルマに怒りをぶつけます。ここから、2人は息子にとって大事なのは目か、母親かという究極の争いを始めます。

思えば、ジーンにかなり厳しく接していたのも母親である自分がいなくなってから彼が苦労しないようにするためだったのかもしれません。

もしかすると将来完全に盲目になり、息子のお荷物になって迷惑をかけることだけは避けたかったのかもしれません(私の想像ですが)

 

セルマはビルとの約束を最後まで守り、彼の名誉を守りました。

そして、周囲に息子を支えてくれそうな優しい人々がいることを確認でき、しかも息子の手術が成功したと聞かされたあと、安心したように歌いながら旅立ちます。

 

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彼女は命以外のものを何一つ失わなかったのです。

これは、彼女にとって最高の結末ではないでしょうか。

 

この映画は当然賛否両論ではありますが、私は主人公の意志を最大限に尊重し、究極の母性を描いた映画だと思いました! 見た人のその後の人生に大きな影響を与える、強い意義を持った作品の1つであることは間違いないです。

 

映画【ゼア・ウィル・ビー・ブラッド】   だらだら感想文

作品名:「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

公開:2008年

監督:ポール・トーマス・アンダーソン

 
 
 

初投稿です。

 

私がこの映画を初めて見たのはたしか中学生のころでした。

その当時は映画の内容にあまり深く感銘を受けてませんでした。2時間半もあるけど飽きずに見てられて面白かった、ぐらいです。

 

 

最近の自粛期間にこの映画をもう一度見てみましたが、胸にドスンときました…

これは最強で最恐で最凶な大傑作でした!!!

 

 

この映画は観客に対する説明が異様なまでに少ないので、2時間半ただただ起こったことを羅列しているだけに見えます。

 

しかし、この映画の素晴らしさはそこにあるのです!

この映画を見てからほかの映画やアニメ、ドラマを見ると、非常に説明過多で

うっとうしいわ!そんなこと見てりゃわかるから!みたいな感情に苛まれるのです。笑

(そういった作品を卑下してるわけではありません)

 

当たり前なのですが、実際の人生でこれが伏線だよーとかわかりやすく流れが示されることはないですよね。この映画は実際の人生に非常に近い視点で描かれています。

 

 

この作品を最大限に楽しめるのは

 

1.主人公ダニエルの内面にかなり共感した方

2.もともと非常に感受性の強い方

 

わりと共感がベースになっている気がします。

この2つに該当していた人ほど激烈に感動すると思います。



ダニエル・プレインビューという人物は何者なのかわかりません。

 

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ただ、人間が嫌いだと語っています。ビジネス上の敵やイーライに対する態度を見れば、彼らに対して憎悪を持っているのは明らかです。

 

ダニエルの根底には人を押しのけて自分が勝利したいという意味での欲望が渦巻いており、それが資本主義の本質ともとれます。みごと同業者たちに勝利し、莫大な富を得たとしてもその財力の使い道が無いところは、彼がいかに空洞化した人物であるかを物語っています。

 

そう、彼は憎き人間どもに勝利するためだけに働いているのです。

 

 

しかし、息子H.Wやサンデー家のメアリーに対する態度に憎悪は見られませんでした。

冒頭、採掘現場で父親を失ってしまった赤ん坊のH.Wをあやすシーンは、ダニエルが

赤ちゃんに愛情をもって接しているように見えると思います。

(やや手荒な子育てですが…笑)

本当に人間に憎悪を抱いている人間が、商売のためだけにわざわざ孤児を引き取って育てるのでしょうか?

 

ダニエルと子供との関係を示す描写は比較的多いです。

 

楽しそうに追いかけっこをしているメアリーを空気を読まずに強引に引き留めて語りかけたり…

盲目になって気力を失ったH.Wを羽交い絞めにして医者に診させたり、無理やりウィスキー入りミルクを飲ませたり…

 

その様子は不器用な親戚のおじさんのように見えて、切ないのです笑

 

しかし、それまで毅然としていたH.Wが石油の突出に巻き込まれた直後、ダニエルに

「行かないで」と懇願しましたが、その願いは聞き入れられませんでした。

確かにダニエルはあの事業を間近で見届ける必要があり、あの瞬間は仕事を優先する

しかなかったと思います。(あの家にお母さん的な存在がいれば、もう少し未来は違ってたのかもなあ…)

 

 

この通り、ダニエルの優しさはすべて一方通行で独りよがりでした。

愛情表現が苦手で不器用だが、愛するわが子のために何かしてあげたい、という彼の根底の部分には尊重しますが、、やはり子供に対して真の意味で寄り添えなかった毒親でもあるのです。

 

そして、ダニエルが持っていたのはH.Wへの無償の愛ではなく、等価交換に近い愛だと思いました。

ダニエルは、将来的にH.Wが自分に対して感謝し尊敬してくれることを望んでいたことは明らかです。将来、自分(ダニエル)の考えにすべて賛同し、横で自分を支えてくれる特別なビジネスパートナーになってほしくて、幼い時から仕事場にH.Wを連れてその準備をしているように見えました。(最終的には後継者になってほしかった?)

 

私は「子供を持つことは将来の投資になる」という考えを否定しません。

しかし、その”投資”に失敗したからといって子供と縁を切ってしまうのは極端な選択だと思います。

きっと”投資”の過程で何かしら失敗があり、それは子供だけの責任ではないのだから。

あの局面では、子供の考えを一度すべて受けとめる”母性”なるものが必要でした。(やはりお父さんだけでなく、お母さんのような存在が必要だった)

そうすれば、結果的にその投資の負けを減らす方向に動いたかもしれません。

 

ダニエルは子育ての見返りとして求めていたものが返ってこないとわかると息子に真実を伝え、完膚なきまでに突き放してしまいます。

 

 

結局、ダニエルはあれだけ渇望していた家族の愛情を手に入れることはできず、手元にはあの豪邸と莫大な財産しか残りませんでした。

勘当した直後、息子との思い出の回想シーンが無音で流れます。あの日常がずっと続けばよかったのに、と泣きます

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ちなみに、ダニエルは作中で2回ほど息子を突き放してしまうのですが、どちらもその直後に人を殺めています。

もしかしたら、息子H.Wが隣にいたことでダニエルの精神の均衡が保たれ、そういった衝動が抑えられていたのではないかと邪推してしまいます(考えすぎかもしれないが)

 

人が嫌いなのに、人の愛情が欲しい…誰しもがそのような矛盾した精神状態に陥ったことはあると思います。(メンヘラ)

そのような現代的な悩みを直視させてくれる未だかつてない映像作品であると再確認しました!ゼアウィル最高!!